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自問自答ファッションと日々

自分のファッションを振り返ってみたら「なりたい」の大事さにたどり着いたよ

あきやさんが幻冬舎大学の第3回のアーカイブで、アウトプットの例として「自分のファッションの歴史」を挙げられていたので、つらつらと書いてみます。

(アーカイブは配信終了してしまったので、みなさんのご感想まとめとともに)

www.gentosha.jp

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ファッションと自分

幼稚園から小学校低学年までは、親に着せられるがまま。この服を着たい!っていう自我があるおしゃれなちびっこたちの話をよく耳にするですが、自分の場合はそれが全然なかった…なので何を着ていたのかもあんまり覚えていません。

でも母が服が好きでとてもおしゃれだったので、写真をみるとカラフルでかわいい服を着ています。色が合っているのが好きという感覚や色の好みは、もしかするとこの頃に形成されたのかもしれない。

ピンクと水色を見て、この色好き…と思った瞬間のことを覚えているのですが、おりがみとかクレヨンにあるような色ではなくて、ちょっと変わった、落ち着いた色が好きだと思いました。スモークピンクとスモークブルーのような。

小学校の中学年くらいから、カラフルな服を着るのが恥ずかしくなる。目立ちたくなかったのか、みんなが着ているものとなんかちがう…となって、このことで母に抵抗しました。

GAPなどの海外のキッズ服ってカラフルで可愛いですよね。小学生のときああいう系統の服を着ていて、そして今はすごくかわいいなと思うのですが、まわりの子はメゾピアノなどを着ていた……のか?わからないのですがなんとなく他の子と違うような気がしてしまって、居心地の悪さを感じていました。

そこからある程度は自分で服を選ぶようになるのですが、ずっとほんのりコンプレックスがつきまとっている状態だった気がします。特に中高から大学生のころ。もっとベストなファッションがあるのでは?という思いで、手が届く範囲で色々試着をして、失敗して、時に気に入って、しばらくすると違和感をおぼえて…を繰り返して、昔よりは自分の好きなテイストとか、好きで似合う形とか色がわかってきました。

そこから今までは、パルコなどの駅ビルのお店でそれなりに楽しく服を選んではいるものの、一方でおしゃれになりたいけど、なんとなく無難におさまっている気がする……というコンプレックスがある感じ。他とは違うおしゃれな雰囲気にあこがれるのに、自分ではどうしても地味な方、目立たない感じの方を選んでしまう。

人の目を気にしちゃう問題

ファッションというと母親の存在はやはり大きいなぁと書いていて気付きました。今でも服が大好きな母は、TPOには合わせつつも好きなものを着る!という感じで、パーソナルカラーもなんのその、着たい色の着たい服を着ます。たとえば周りが全員黒のスーツだったとしても、そのなかで1人違う服を着ることが平気なタイプ。私もそうなりたいのですが、気になっちゃう…黒のスーツを着てしまう気がします笑

特に仕事で着る服はどうしても人目が気になってしまう。この「人からどう思われるかな」というのが私の場合、本当に、枷になっている気がします。極端にいうとおしゃれすぎると思われたくない(なれないけど)みたいな方向の気持ちがある…。目立ちたくないのかな。

またシンプルでおとなしい服、似合いはするというか、おさまりの良さは感じるので、普段は無難だけどもぎりぎり好き、みたいなラインをせめがちです。でも本当は髪ピンクとかにもしてみたい!

なぜ気になるのか

無害だと思われたい、みたいな気持ちがどこかにあるかもしれない。あなたをおびやかすつもりはないんですよ、という友好の印というか。大丈夫、私はあなたの手を煩わせない、良い子なんです、と見せたいみたいな……。

もう大大人(だいおとな)なので良い子もなにもないし、しかも相手に敵対しないことと地味にすることはイコールじゃないのに、改めて考えると変な図式です。

これはしかもファッションだけの問題じゃなくて、何についてもこういう姿勢かもしれない……。(深淵にたどりついてしまった)

幼稚園の私の「なりたい」と今の「なりたい」

幼い子供のころ、私はとにかく手がかかる問題児だったようで、色々な問題を起こして叱られまくっていたのですが、自分でも自分のそういう性質を持て余していて、親や先生に怒られないようないい子がとてもとてもうらやましかった。なんで自分はああなれないのかなぁ、どうしていつもこうなっちゃうのかなぁとどこかでずっと思っていました。

精神的に成長して、外面をある程度コントロールできるようになってからは、幼稚園のころの自分が憧れたいい子になろうとしていたし、また外面だけでもそうなれたら嬉しかったんだろうなぁと思います。

でも自分のファッションにいまでもうっすらコンプレックスを感じるということは、自分自身がもう、こういうあり方に満足していないのかもしれない。本当に心からいい子でありたいなら、いい子のファッション(?)が嬉しくて、それで心から満足なはずですよね。

満足していないのはきっと、もう「叱られない良い子」を目指さなくても大丈夫になっているから、きっと私が心から求めているものはそこにはないから、だからこれにかわる軸を見つけたいし、インストールしたいです。大人になった今の自分がどうなりたいのかを考えていかなきゃ。そうじゃないと、いつまでも満足する服には出会えない気がする。

ここであきやさんが言っている「なりたい&ありたいの大事さ」にたどり着きました。

すごい、すでに言ってくださっていました!いつもそう。あきやさんの言っていたとおりだった…となるのでした。

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ファッションのプロのあきやさんは、素人の何歩も先の道を歩いてくれていて、そこから見えるポップで楽しい景色を伝えて、「こっちだよー🥳」と呼びかけてくれているのだなぁと、しみじみするのでした。